月下美人
一,月下美人(秘めた情熱)
「…もういいです!」
投げつけられた言葉に真里野は話し途中の言葉を途切らせる。
突然断ち切られるようにして打ち切られることなど、彼と話している時一度もなかっただけに戸惑いが大きい。
戸惑いながらも、どうして彼…九龍がそう怒鳴るように話を打ち切ったのかと尋ね返す。
「九龍?"もういい"とは…どういう事だ?」
尋ねられた九龍は真里野が見つめる先で、肩を竦めると首を振る。
「真里野さんの話は分かりましたって事です。…貴方が月魅ちゃんの事を心配している事は、もう充分わかりましたから」
表面上穏やかに笑ってそう答えた言葉を聞いて、真里野は驚く。片目しかない眼差しの奥で、瞳が細く縮まった。
真里野が九龍にと話した内容は確かに七瀬に関する事で、
今日の昼間彼女の様子がおかしいから彼が、彼女にと尋ねて聞き出した事についてだった。
話自体は普段の生活をする一般生徒なら少しの不安を残すものだが、直ぐにどうこうとするべき事でもない。
だが九龍を中心として行っている夜間の"あの活動"に参加する自分達には、
その原因が思い至るだけに無視できないのも事実だった。
だからこそ寮の階段脇で彼を見つけた時声を掛け、こうして話を始めたのだが…。
「九龍、拙者が話したいのはそういう事ではない。いや、勿論七瀬殿が心配だと言うのは確かなのだが…」
「だからッ!」
真里野は話の道筋を正そうとまた口を開くが、先ほどと同様に阻まれる。
先ほど以上の強い否定を帯びた声色にただ黙って九龍を見つめ返した。
「もういいんです。彼女の…月魅ちゃんの事は、俺の方で何とかしますから」
真里野が見つめる先で、九龍はそう言って一つ笑うと背を向ける。
彼の自室に向って歩き出したその背にそれ以上の話し合いは無理だと悟るが、数歩行ったところで彼は足を止めた。
何かに思い立ったようにもう一度真里野を見つめなおすと、口を開く。
「それとも…彼女の悩みを、自分で解決したくて俺にアドバイスを求めに来たんですか?それなら…何か考えますよ」
「ッ!」
わが耳を疑うくらいに嫌味に満ちた言葉だった。
暫し、その衝撃に彼を見つめる。取り分け、何故彼がこうも自分に対して、そう頑なな態度を取るのか理解できなかった。
ただわが目を疑い、それが紛れもなく目の前の彼から紡ぎ出された物なのだと見極めると一つ溜息を吐く。
真っ直ぐに彼を見つめた眼差しをその侭に尋ね返した。
「九龍。お主が拙者をどう捉えているかは、知らぬが…拙者はそうしたいが為にお主にこの事を話したと、本当にそう思うのか?」
「……」
「もし、そう思うのならば…拙者は失望を禁じえない。
拙者はお主に自分の事を随分見せていたと思っていたが…伝わっていなかったのだからな」
九龍は真里野の言葉に彼の眼差しから避けるようにして顔を伏せる。やがて、ボソリと謝罪の言葉を呟いた。
「…すいません。言い過ぎました」
自分から眼を伏せ、そうして黙っている九龍を真里野も見つめる。
二人の間には今の言い合いに寄る、何とも気まずい空気が漂っていた。
お互いがお互い、次の言葉を待っていて…
そして、次の言葉でも今の事が繰り返し取り沙汰されるのかと、お互いを疑っているようにも思えた。
「……」
「……」
暫くして、九龍はそうした空気に耐え切れなくなり、顔を伏せたまま真里野へと口を開く。
「話はそれだけですか?それなら俺はこれで。…他人も観ていますし、失礼します」
寮の廊下を振り返り、そのまま真里野に背を向けた。
真里野はその背に眼を細めると、彼を追う。追いつけば、体の脇にあった彼の腕を取った。
「待て」
「…ま、真里野さん」
九龍は自分の腕を取ってまで自分の足を止めた彼を驚いて、振り返る。
振り返った先で、自分より僅かに高い背故に見上げる形を取る灰色の瞳が、珍しく怒気を発しているのに気付いた。
「話はまだ終わってなかろう?七瀬殿のこと。本当にどうする気だ?」
「…っ…」
「放って置いて良い問題でないのは、少し冷静になれば分かろう?…それすら分からぬなどと言ってくれるなよ?九龍」
そこまで真里野は言って、周りへと視線を巡らす。
再三に渡って怒声を発しての話し合いは、階段から直ぐ個人部屋が繋がっている廊下へと響いて…
何人かが不審気に二人の様子を伺っている。
近寄りはしないが、それでも自分達が喧嘩をしているのを察していて…
もし取り組みでも始めたら止めようとでもしているようだった。
「…お主の言うように他人の目が気になる話しだ。こうも注目を受けて話す内容でもないしな。…ならば、場所を変えるまでだ。行くぞ」
「ちょ、ちょっと…」
そう言って真里野は取っていた九龍の腕をそのまま引っ張り、二人の脇にあった寮の階段を上り始める。
九龍はその乱暴な扱いに戸惑いながらも必死で彼の歩調に合わせ、真里野に追いつくと尋ねた。
「何処行くんですか?」
「…直ぐに着く」
「……」
多くを語らない彼に口を噤み、九龍は仕方なしに従う。
そうこうしている内に寮の階段を登りきり、屋上へと通ずるドアが見えてきた。
昼間は洗濯物を干す場所として開放されているが、
この時間は閉まってしまう屋上のドアに近づくと真里野は足を止めて、鍵を開ける。
九龍をそこに連れ出し…。
「此処だ」
と、広々とした屋上を見回した。
十二月の半ばに差し掛かる寮の屋上は、この時間には人影一つなく、灯りも特にと用意されてないそこは、
遥か下にとした寮への道脇にある外灯の灯りが少し入り込むだけで。
むしろ、天にと昇る大きな月明かりの方がずっと明るく感じるほどだった。
円く明るい月は白々と二人分の影を冷たいコンクリートに映し出す。
九龍をその広いスペースへと開放すると、真里野は後ろ手に屋上へと通ずるドアをバタリと閉じる。
金属製のドアはそれだけで、大きな音を屋上中に響かせ…
九龍は一瞬その音の大きさにビクッと振り返るが、外界の空気に晒された部屋着姿にぶるりと身震いした。
寒さに震える体を抑えようと自分を抱きしめる九龍を見て、真里野は少し笑う。
「此処なら誰の邪魔も、声も気にしなくて良かろう。…少し寒いかも知れぬが、な」
「……」
真里野のその言葉に九龍も一瞬表情を緩めるが…。
「九龍。七瀬殿の事だが…」
次にと紡がれた言葉にまたきつく口元が結ばれた。
そうした変化に気付かずに真里野は話を続ける。腕を組んで思い出すかのように遠い眼をした。
「今はまだ夢遊病と呼ぶほどに酷いものではないが、寝れば決まってそうした事になるため安心して眠れないらしい。
当然、疲労も体に溜まってきているようだ」
「……」
「少し話しただけだが、確かに彼女の集中力が落ちているのは、傍目に観ても分かるものだった。
そんな彼女を連れて墓地に行き、彼女の命を危険に晒すというのは、拙者黙って見過ごせぬな」
「……」
「九龍。拙者が再三に渡ってこうして彼女について忠告する理由を考えてくれ」
「……」
真里野の言葉を黙って聞き、何時まで経っても相槌の一つも打たない彼に真里野は一つ溜息を吐く。
九龍から視線を外し、暗い空に上っている月を見上げると…少し迷った後、言葉にした。
「九龍。拙者は何も"あの晩"の彼女が本当に七瀬殿本人ならばこうは言わない」
突然そう話し始めた真里野の言葉に、ずっと黙り俯いていた九龍も顔を上げる。
それに気付いたのか月を見るために上げていた顔を九龍へと戻すと、真里野は微かに笑って尋ねた。
「だが…違うのだろう?」
彼が何を言うのか…何について話しているのか、九龍は半ば信じられず真里野を見つめる。
震える声で尋ね返した。
「どういう事です?"あの晩"って…?」
信じられないと驚きの表情を浮かべている九龍の顔を見つめ、真里野はそれを確かなものへと変える。
腕を組みなおし、ふっと唇の端を上げるとその質問に答えた。
「拙者を倒した晩の事だ。あの晩の七瀬殿は…お主だな、九龍」
「!」
「何度か七瀬殿とお主と供に遺跡に潜りに行って直ぐに気が付いた。彼女は…戦闘に関しては、ど素人だ」
「……」
「だがあの晩、拙者と対峙した時の七瀬殿は銃器を始め、戦闘に対する考えや身構えが出来た玄人。…それに加えて、つま先だ」
「つま先?」
九龍が反芻した言葉に真里野は一つ頷く。それと供に視線を自分の足元に落とすと僅かにつま先を上げてみせた。
「こう僅かに上げるのだ。足を踏み出す時にな。多分、癖なのだろう。…九龍、お主にもある癖だな」
「……」
「最初は信じられなかった。…だが、な。あの晩の七瀬殿が、お主だったのだと考えれば、全て辻褄が行く」
そこまで真里野は話し、笑みを強くすると眼を細めた。
「拙者が惚れたのは…七瀬殿の中に居る、お主だったのだとな」
「っ!…真里野さん」
「確かめるきっかけが掴めなくて、ずるずると今までその事に触れずに居たが…拙者の出した結論は間違っていたか?」
優しくそう尋ねた真里野に九龍は、何度も首を振る。
何もかもが信じられなかった。
ずっと真里野は七瀬をあの晩に好きになって、彼女が彼女であったことを疑いもしていなかったと思っていたのだから。
そう思っていた自分ごと否定するように、九龍は首を振り…ややして、また足元に視線を落とすと言葉に変えた。
「間違って、ません。確かに…あの晩の月魅ちゃんは、俺です」
「そうか」
「はい…」
真里野は頷き、腕を組み直すと一歩九龍へと足を踏み出す。俯いたままの彼を見つめ…労わるように口を開いた。
「ならやはり、七瀬殿の事は早々に解決しなくてはな。彼女を庇っての戦いは辛い。
拙者が居れば多少は、その荷を軽くも出来ようが…絶対とは言い切れぬからな」
「…はい」
「彼女の問題がどう戦況に影響するかも分からぬし…
遺跡が危険な場所だと分かっている以上、常に最悪な事態を想定して間違いはなかろう」
そこまで言うと真里野はゆっくりと手を上げる。
未だに俯いたままの九龍の頬を包み、自分へと視線を上げさせた。
「九龍。お主には傷ついて欲しくない。誰かを失う苦しみを知らせる事も、そしてお主自身を失う事も…拙者は絶対に避けたいのだ」
九龍は彼を見つめる。先ほどまで感じていた外界の寒さは感じられなくなって…
自分の頬を包む暖かな感触と目の前にした男の容姿にだけ意識が収束する。
月を背にした真里野の表情は、九龍には読めなかったが…自分を真摯に見つめてくれている事が何と無しにわかる。
彼の銀の髪が、月明かりに照らされて…眩く輝いているのが酷く動悸を高鳴らせた。
熱に浮かされるように、確かめるように九龍はそっと彼の名前を紡いだ。
「真里野さん…」
すると、九龍が見つめた先で真里野は視線を逸らす。
「そんな眼で…拙者を観るな」
と、照れるようにボソリと口の中で呟いた。
「…惑わされる」
その言葉を聞いた瞬間、九龍の中で感情が爆発した。
抑えていた想いや感情が、これでもかと動き出して…
そんな気持ちに押されるように、自分へと顔を背けている男への距離を縮める。
躊躇う事無くその腰へと腕を回し、彼の耳元に口を寄せると囁いた。
「惑わされて下さい。俺は精一杯…貴方を誘惑しますから」
「っ…九龍」
「…好きです。真里………剣介さん」
少し迷い、そう彼の名前を呼べば…九龍の腕の中で、真里野の体がピクッと身じろぐ。
緊張したように体が硬くするが…ややして真里野は一つ溜息を吐くと、九龍の背に腕を回した。
優しく抱き返し、九龍の首筋にキスを一つ落とすと、観念したように一言呟いた。
「…拙者もだ」
タイミングを合わせたかのようにお互いを抱きしめる腕が緩まれる。
それによって出来た空間にお互いの顔を暗い屋上で見詰め合えば、次の瞬間どちらからともなく唇が重なった。
「んっ…」
表面を触れるだけの軽い口付け。
質の良い布が触れたようなさわりとした感触は、それでもお互いの熱を伝えて…外が寒い分、その熱を本能的に体が欲する。
求めるように貪るようにお互いの唇を味わい、何度となく重なるそれは、重なった分だけ熱を孕んで深いものへと変容していって…
口を半ば開け、舌を絡めあい…更に更にと欲望を募らせていった。
真里野に半ば押される形で九龍は、屋上の入り口の壁に押し付けられ…
その壁へと身を預けると、彼の背にやった腕の片方を上げる。
先ほど綺麗だと思った銀髪に触れた。
髪は触れてみれば存外に柔らかく、さらりさらりと指の合間から逃れる感触がまた何とも言えずに気持ちが良い。
それにクスリと口腔で笑えば、真里野にもその笑みは伝わったようで…
彼も一つ笑うと、九龍の唇を味わっていた唇を首元へと移動させた。
皮膚の柔らかい部分を唇で伝い、九龍の身じろぎを知っては、その部分を攻め上げるよう甘噛みし、舌を這わせる。
自分の動きにあわせ、腕の中の彼が反応を返すのが面白く、何よりも嬉しい。
固執したように更にと新たな刺激を与え、唇で首筋を辿り耳までいけば耳たぶを口に含み執拗に舌で撫ぜる。
それと供に九龍を抱いていた腕を彼の服の中に入れ脇腹を擽り、
柔らかい肌を掌で充分堪能しながら段々と胸元へと迫り上げていった。
「…っ…。け…剣介さ……」
九龍の方でも胸へと迫る掌の感覚が、更なる快感を呼ぶことを知ってか、ごくりと喉を鳴らし…震えた声で真里野の名前を紡ぐ。
先ほどから耳へと与えられる慣れない刺激に息が乱れての声は、何とも艶めいて響いて…
呼ばれた本人はそれだけでゾクリと背を這う快感を感じた。
こうして息を乱れさせているのも、そうして名前を紡がれるのも己以外に居ないのだという尊大で傲慢な独占欲。
官能的なそれは、男を酔わせるには充分で…より相手を貪り食うために舌を這わす結果になった。
「ッ!」
そんな事など受身になっている九龍には、知る由もなく…
ただ今まで以上にと与えられる快感に、壁に身を預けているだけでは足りなくなってくる。
ガクガクと震え始める膝腰に、精一杯鞭打ち…戦慄く腕で真里野の背にしがみ付いた。
「…け、…剣介さん…」
自分をそこまで追いやる相手の名前を呼び、その行為を中断させようとするが…
呼ばれた当人には、手を緩めるつもりなど微塵もなく。
却って自分の背をしがみ付いた彼の何とも可愛らしい反応に満足感を覚え微笑むと、
やっとと辿り着いた胸の先端を優しく親指の腹を使って刺激する事で、返事の代わりとした。
「!」
今でも許容一杯の快楽に更にと加えられたそれは鋭利で…
体の中を電撃が走ったかのように自分の意思とは、無関係に体が反り上がる。
快感が走り抜ければ、後には甘い余韻を体の隅々に残し、飛び火したようにそこが疼く。
もっとと、乾いた大地が水を欲するように渇望感が胸に迫った。
九龍はそうした自分に気づくと、羞恥心に顔を染め…原因となったその快楽を与えた真里野から視線を逸らそうとする。
…が。逃れようとする事を真里野は、察していたように自分から逃れようとしていた顎を捕らえると、強引に口付ける。
口内を順繰りと舌で蹂躙し、九龍の舌を絡め取り充分にその柔らかさを味わう。その一方で胸にとやっている指を動かした。
「…ぁ…っ……ん…」
逃れようとした九龍の意思は反対に、却ってそこを煽られる結末になり…塞がれる口から僅かに快感に打ち震える声が漏れる。
ピクッ、ピクッと背を駆け抜ける快感に反応し、真里野が唇を開放する頃には、ぐったりと彼の肩に寄り掛かるまでになっていた。
「…はぁ……は…ぁっ………ん…っ…」
肩で大きく息をする九龍に真里野は、また笑うと彼の頭を軽く撫で、そして自分の体から若干離れさせる。
「?」
九龍は言葉を発する気力も奪われていたが、情炎に虚ろとなった熱っぽい眼差しで彼の真意を伺う。
すると真里野は九龍が見つめる先で、上にと羽織っていた胴着を脱ぎ捨てた。
今まで闇にと溶け込む黒いそれが、彼の片影を隠していたが…
月下の下に映し出された彼の上半身は、隠すのが勿体無いほどに均整の取れた美しい彫刻細工のようで。
月光に晒され白く光り、白銀の髪と相まって…何処かこの世のものではない程の凄みを帯びていた。
「…っ…」
知らず目を奪われ、見つめ続ければ…真里野は微笑み、脱ぎ捨てた上着を屋上の床に敷く。
敷き終われば、九龍の手を引き…その上へと彼を押し倒した。
「…多少は違かろう」
ボソリとそう九龍の耳元で掠れた声で囁き、先ほどの続きをなぞるように首筋に唇を落とす。
「ん!」
中断していただけにその感触は妙に生々しく犀利で、背に感じる屋上の床の固さを感じながら体を引き攣らせた。
真里野はそうして自分の腕の中で、自分の与える快楽に打ち震える九龍を斜めに見上げ、目を細めると…うなじへと舌を這わせる。
先ほど、九龍が一番反応していた耳へとそのまま辿らせ耳の裏側を撫で上げ、時に甘噛みしていたが…ふっと顔を上げた。
「…はぁ…?」
先ほど同様、息も荒くなって来た所で、そうして止められた行為を不思議に思い…九龍は息を整えながら真里野を見返す。
真里野は九龍の上で彼の顔を見つめ…
何かを口の中で動かした後、舌を彼に見せるように突き出した。
「ん」
九龍はそれに最初彼が何を言いたいのか分からなかったが、
月下の影となった彼の舌に乗った銀色の小さな光に気付くと目を留める。
「…あ…それ……俺のイヤーカフス……?」
僅かに上半身を起し、片手で右耳の軟骨に触れ…
そこに感触がないのを確かめると、先ほどまであったものが目の前の男の口にあるのだと。
つまりそこに彼が、唇を当てていたのだと酷く意識し、先ほど以上の羞恥を感じた。
かっと顔が赤まるのを感じながら、そうして見つめ続ける彼の視線から目を逸らし、一つ溜息を吐くとボソリと文句を漏らす。
「"誘惑する"って言ったのは俺なのに……結局、俺の方が剣介さんのペースに乱されっぱなしだ」
真里野は九龍のその言葉にクスリと笑った。
口元からそのカフスを取り出し、組み敷いた九龍のズボンのポケットへと仕舞いながらその首にキスを一つ落とす。
「そうか?拙者は充分お主に"惑わされている"と思うがな」
自分の首元を強く吸われている感触を感じながら九龍は真里野の言葉に、眉を寄せた。
「本当ですか?…騙されている気がする」
と、文句を口にしつつ真里野が促すに従って上を脱ぎ捨て…
脱いでしまえば、素肌が寒さを訴えて…彼の背に腕を回すと、暖を取る。
自分の胸元にと九龍の柔らかい唇が当たって、真里野はドキッと動悸を高鳴らせた。
無意識にそうしているであろう事は明白で、つくづく…と苦笑いを浮かべると、首の付け根にと顔を落とす。
「…騙してなどいない。惑わされているのは…拙者の方だ」
障害物のなくなった上半身へと少しずつ唇を辿らせ、順々と首から胸とキスを落とす一方。
片腕で、九龍の太ももの裏を体の中心に向ってさわりと撫で上げる。
掌にと感じる布の感触に一抹の物足りなさを感じると手を止め、口元は胸を辿らせながら…
真里野は九龍のズボンの前を緩め、開けようとした。
…が。
「っ!け、剣介さん!」
ここまで散々愛撫を受けたままだった九龍だが、さすがに自分のズボンを下ろされるという段になって慌てたように抵抗した。
この先どういう事をするかも、また自分も彼も何を求めているかも当然頭では、理解しているが…
最後の理性と羞恥が、それを許さないと言うように受け入れ難い。
組み敷かれたまま、自分のズボンの端をガシッと両手で掴んだ。
そんな九龍を観て、真里野も体を少し浮かせると…苦笑し、身を硬くしている九龍を見下ろした。
「九龍。そんなに抵抗されては、これ以上出来ぬが…」
「わ、分かってます。でも、でも…」
それでも恥かしいのだと訴える九龍に真里野も一つ溜息を吐くと、上半身を起し…胡坐をかく。
「では、今夜はもう止めるか?…拙者も無理強いする気はないしな」
「えっ…」
そう言って身支度を整えようとか、袴の紐を緩めようとする真里野を見て…反対に九龍の方が驚いて言葉を失くす。
あれだけ自分を求めていたのに、こうもあっさりこの人は引いてしまうのかと思うと無性に寂しく、悔しい。
羞恥心が先に立つというのは確かだが…それ以上に真里野と寝たいというのは、九龍にも当然ある感情であり、欲求だ。
此処まで行ったのだから…最後まで行きたい。
九龍はその気持ちに押されるように、下にと敷かれた彼の上着を握り締めながら…今は少し先に距離を取る彼の腕に触れる。
「剣介さん…」
自分から体を近づけ、自分を振り向いた彼に自分からキスした。
「…最後まで…して下さい」
「九龍…」
まだまだ物慣れないその口付けを受けながら…真里野は唇の端で笑う。
「…お主から始めたことだ。もう容赦はせぬぞ」
と、深い口付けへと変え彼の気持ちを汲んだ。
ズボンを下ろし、直にと触れる九龍の肌の暖かさを真里野は掌で確かめながら…先ほど以上に口内を充分に味わう。
歯列を一つ一つなぞり、舌の付け根を擽り…薄目を開け、九龍の様子を見つめる。
九龍は相変わらず脇腹の柔らかい皮膚の部分や、胸を刺激されるのが一番感じるらしく…
そこに触れると決まってきつく眉間に眉を寄せていた。
素直に嬌声を上げれば良いのに、彼の最後の最後でそれを由としないところがあるらしい。
ただきつく体を引き締め、快感が体を通り過ぎるのを体をくねらせたりして待つ。
その様子は、真里野にある種の嗜虐欲を持たせるが…
先ほどの一件で、既に九龍に一歩譲歩させた事を考えれば…それ以上は望みすぎだろうと自制させた。
ただ、九龍が快感に対し貪欲になり、こうした行為に酔って来るのを悟って次へ、次へと…
更に続くステップを歩くように大胆に彼に触れる場所は広げていく。
首を舐めていた口を胸へと下ろし、その先端を舐め上げ…手は、内腿をさわりさわりと焦らすように撫で上げて…。
嬌声を上げずに頑張っていた九龍が段々とそれに苦痛を覚え、息を荒げていくのを目の当たりに感じ…
彼の下着の中で主張する彼自身を知れば…そっと上から弄る。
「ッ!」
瞬間、九龍の閉じられた口から声にならない声が漏れる。
それを耳に聞いて笑うと今度は、下着の中に直接手を入れた。同性故に慣れた手付きでそれをゆっくりと愛撫する。
先端を弄り、先走りに指が濡れたのに気づけば…一旦手を離して、その指を彼に見えるように舐めて…。
「け、剣介さん…っ…そんな汚……ッ!」
九龍が予想通りそうした自分に驚き、慌てて止めようとすれば…その制止を無視して、下着を下ろし…次はと、口で触れた。
順繰りと舐めてから先端を口に含み、舌で裏筋を辿らせる。
「ぁ…んッ!」
それだけで九龍は今まで以上に背を逸らし、体を仰け反らせる。少しでもそうした自分を抑えようとか、下に敷いた上着を握り締めた。
きつく握り締められる九龍のその手の甲が、月明かりに白く浮かび上がるのを見つめながら…
真里野は、九龍が抵抗しきれない快楽に溺れていく様を楽しげに見つめた。
殊更ゆっくりと事を運び、早々にはイかせてやらず…焦らす。
そろそろと続く快感に九龍も苦しそうに体がのたうち…終いには、上半身を僅かに起して…涙目で真里野に訴えた。
「…け…剣介…さん…」
真里野は、九龍のその訴えにある種の満足感を抱くと一つ頷いて、
先ほど以上に愛撫を強くし…手と口を使って、彼の望むようにしてやる。
一番感じるところを舌を使って刺激し、掌を使って後ろと共に根元から扱いて行く。
真里野の口の中で、九龍はそうした真里野の動きに合わせて大きくなり、脈打つ鼓動は早くなって…程なく絶頂を迎えた。
「ぁ…あぁ…!!」
悲鳴とも嬌声とも付かない声が、その細い喉から紡ぎ出されるのを耳に聞きながら、溢れ出るその液体をこくりと飲むと顔を上げた。
顔を上げた真里野の唇の端からは月光に照らされ、飲みきれなかった液体が若干垂れ下がり、光り輝いている。
それに彼自身気付くと、親指で拭ってぺろりと舐めた。
「…ぁ…っ…はぁ…っ……」
九龍は半ば虚ろな目でそうした真里野を見つめていた。
上がり切った白い息の向こう見える彼は、猛犬のように目が鋭いように見える。
片目しかない眼差し。細い瞳が射るようにあられもない今の自分を見つめているのかと思うと…
気だるい倦怠感も吹き飛んで、またドキドキと動悸が高鳴ってくるから不思議だ。
「…剣介…さん」
そっと彼の名前を呼び、彼へと手を差し伸べた。
すると真里野はふっと微笑みその手を取って…その手の内側に口付けした。
「あ…っ…」
絶頂を迎えたばかりで感覚が鋭利になっているのか、
それだけでゾクリと快感が這い上がるのを感じながら九龍はその手に力を籠める。
真里野の頬を包み、その頭を引き寄せた。
「剣介さん…」
自分の手の動きに抗わず自分の胸元に来た彼の頭を胸に抱えると抱き寄せて、優しく抱きしめる。
真里野も囁かれる自分の名前に目を細めると…一つ息を吐いて、掠れた声で答えた。
「九龍…すまぬが…そろそろ……」
彼の言いたい事を察し、九龍も頷く。
「うん。今度は剣介さんも良くなって。………俺を…貴方のものにしてよ」
「…っ…」
その言葉がきっかけになったように真里野も未だ腰にとあった袴を緩める。
九龍の足を広げさせ、その中央に自分の体を置くと…今は欲情したそれを、中心へと宛がった。
「…すまん。結局は性急になってしまったな。…ゆっくり、優しくしてやろうと思っていたのだが…」
苦笑いのような困ったような笑みと共に紡がれたその言葉に九龍は、首を振ると…上半身を起す。
そのまま真里野の背を抱きしめ、唇にキスをすると…ニッコリと笑った。
「良いんだ。剣介さんの好きにして欲しい。俺は…その方が嬉しいから」
「九龍…」
九龍の言葉に真里野も笑い返し…彼の太ももを抱えるように持つと、九龍の首元に顔を垂れる。
首筋にキスを一つ落とし、耳たぶを甘噛みして…囁いた。
「…いくぞ」
「うんっ…!」
真里野の声と共に九龍の中に強引に何かが進入する感覚が体を貫く。
「…っ…!」
体を割かれるほどの痛み。眉間が否応なくこれでもかときつく寄せられる。
真里野の背にと回した指は自然と力が入り、柔らかな皮膚に爪が食い込んだ。
それと共に今まで息一つ乱さなかった真里野の口から激情を堪えた咆哮のような声が上がる。
「…ン…ァっ…!」
悲鳴が上がりそうになった。事実体は悲鳴を上げていたが、飲み込むと痛みにだけ意識を集中する。
震える唇で彼の名前を紡いだ。
「はぁ…剣介さん…」
真里野はその声に九龍の首に下ろしていた顔を上げる。
額に若干の汗を浮き上がらせていたが、九龍を見つめると微笑む。
「辛いか?」
労わるように尋ねた。
九龍はその笑みに彼の背へと立てていた爪を抜き、首を振る。
「…大丈夫」
「そうか」
優しく九龍の頭を撫で、目尻にと浮んだ雫を唇で吸い取る。
そうするだけで、少しずつだが九龍の力が抜けてくるようで…馴染んできた。
それを察して、真里野もそろりそろりと腰を動かし始める。
排除しようとする動きと、押し広げられる事に慣れた内壁は、
真里野の動きに合わせて収縮と弛緩を繰り返し、言葉にならない快楽を生む。知らずに息が上がった。
「…ぁ…」
上ずった声が出たのはどちらからなのか…快楽に、悦楽にと意識は飲み込まれ…。
あとは極まるまで…貪り食うようにお互いの体を味わい尽くすのみだった。
「…ぁ…ああ…ッ…!」
「ん…ァ…!」
一際、高い啼き声を上げ…絶頂を迎えると、
そのまま真里野は九龍を抱え、九龍はそうした真里野の頭を抱えて…黙って抱き合った。
お互いの体に寄り添い、お互いの体温を確かめあっていたが…一つ息を吐くと腕を緩める。
真里野が腕を緩めたのに気付けば、九龍も彼の頭を抱いていた腕から力を抜く。
彼の顔を見ようと体を離した瞬間、はらりと二人の体に何かが落ちた。
「あ…」
観れば、それは何時も自分が目にしていた彼のもう一つの瞳を隠す眼帯で…
落ちてしまった眼帯に彼の顔を見上げれば、そこで目は留まる。
月下に晒され初めて観る真里野の右目の傷は、彼の閉じられた瞼の真ん中を走り…
不思議に何時も観ている頬へのものと続いていた。
まるで時が止まったように彼のその顔を見つめる。
「……」
二人の間を時折吹き抜ける風が、長い銀髪を揺らし…その傷の全貌を隠すが…
それも気にならぬほど、九龍は真里野の上でその傷を見つめ…。
「…怖いか?」
真里野にそう声を掛けられるまで凝視し続けた。
問われた言葉に首を振り、躊躇いがちに真里野の右頬に触れる。
繊細な指は真里野の頬の柔らかさと傷である溝を直ぐに探り当てて…
九龍はそっと指先で確かめるようにその傷へと指を這わせる。
瞼の上からすぅっと傷が引かれた通りに指を動かした。
「……」
傷の跡をなぞられる間、真里野は瞳を閉じていた。
彼の指が自分の傷を辿り動くさまを実感するように…
九龍の思うままにさせ、傷の最後まで行って指を止めた彼に目を開けるとその手を取る。
戸惑う九龍の手の内側にキスを落とし、微笑んだ。
「……」
九龍はそうした真里野にやっとと表情を崩すと、真里野の首に抱きついて…その傷跡に唇を落とした。
指を辿らせたように唇でその傷を辿り、最後まで行けば真里野へとキスする。
真里野もそのキスを受けながら、九龍をきつく抱きしめた。
「…初めて人に見せた」
口を離し、真っ直ぐに九龍を見つめると真里野はボソリと呟く。
その言葉に九龍は言葉に出来ぬ喜びを感じて、真里野の首にやったままの腕に力を籠めると耳元へ囁いた。
「綺麗だよ、剣介さんは。俺の…俺の憧れだったんだ」
真里野は少し驚き、目を見開くが…表情を緩めると頷く。
「拙者の弁だな、それは。拙者もお主に焦れていた。真っ直ぐなお主に、な。……九龍」
そこで言葉を切り、九龍の注意を促すと…腕を緩めて彼の顔を見つめる。
「お主に貰ってもらいたい物がある。"八咫烏"という小太刀でな。
…実家に置いてある拙者の愛刀・賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)と揃いになったものだ」
「八咫…烏?」
頷く。
「刀は武士の命。その半分を…お主に持っていて欲しいのだ。…駄目か?」
「剣介さん…」
九龍は真里野を見つめ返す。
託されたものを重さ。意味とそこに含まれる彼の想いが…純粋に嬉しかった。
嬉しさの気持ちの中には、それを受けられる自分を誇らしく思う想いもあって…
九龍はそんな複雑な喜びをどう表現してよいか、一瞬戸惑う。
戸惑う一方、体の方がそうした事には長けていたようで、知らずに涙が頬を伝って流れ落ちた。
「あっ…」
ポツリと真里野の胸に落ちたその雫に九龍は慌てる。目を擦り、笑うと礼を口にした。
「…ありがとう。大切にする」
「そうか。すまんな、九龍」
九龍の笑みを見て真里野は目を細める。下にと敷いていた自分の上着を手に取り…その肩に掛けた。
「寒くないか?もう少し場所を考えるべきだったな。…もっとも、止まらなかったのだが…」
苦笑いした真里野に九龍はクスリと笑うと首を振る。
「…それはお互い様。俺も貴方に抱かれたかったから…良いんです。気にしないで下さい」
肩に掛けられた真里野の上着の前を寄せながら、九龍は眉間に皺を寄せた。
「それより、剣介さん。背中…大丈夫ですか?」
「背中?」
「俺、思いっきり爪立てちゃったから…」
九龍の言葉に真里野は自分の背へ視線を流す。
「ああ、これか」
首を振って答えた。
「何、これも勲章と思えばさしたる事はない。元から傷痕は多い身故な。一つ…しかもお主が付けた傷が出来たと思えば、却って嬉しい」
「…っ…。剣介さん…」
ストレートな言葉にドキッとする。
九龍は真里野のそうした実直さに照れ、そして再度微笑むと彼に尋ねた。
「…見せてもらっても、良いですか?」
「ああ、構わないが…」
真里野は頷き、九龍に背を向ける。自分のものより広い背を見つめ、九龍は一歩近寄るとその背に手を伸ばした。
滑らかな白い背に対称的に残った10個の爪痕。月の白い光の中、それだけが色を持っていて艶めかしい。
自分の指先にある爪と比較し、確かに自分で付けたものなのだと実感すると惹かれるように真里野の背に唇を寄せた。
「ッ!」
背にと感じた触感に息を飲む。驚いて、真里野は自分の背に回った九龍を振り返った。
「九龍ッ!」
振り返った先で九龍は自分が残した爪痕をなぞるように舌を這わせていた。
真里野の視線に気付けば、顔を上げ…苦笑いする。
「…血が滲んじゃってて…痛そうだから、これだけ。これだけ舐めさせてください」
悪びれもなくそう言われれば、真里野に反対する言葉もなく…。
「…っ…」
顔を正面に戻すと、ちろりちろりと触れられる舌にゾクリと背筋を這い上がる快感を必死に抑えた。
九龍は真里野のそうした事情などとんと気付かないのか、傷へ舌を這わしながら…広い背へ手を滑らす。
「剣介さんの背。本当に…傷が多いですね」
その言葉に、自分の傷に指を辿らせる感触を意識しながら、真里野は頷く。
「…昔から剣術をやっていれば、生傷など日常茶飯事になる」
そう紡いだ声が存外に掠れている事に自分で気付けば、苦笑する。背に居る九龍の左腕を引き寄せた。
「傷が多いのはお互い様だろう。…九龍。お主も…傷だらけだな」
と、その腕に残った傷へ唇を落とす。
一つ一つの傷痕を丁寧に舐め…それで足りなくなれば、その腕を右腕で引き寄せながら九龍を振り返る。
自分にと倒れこんできた彼の体を左腕で支え、視界に晒されたうなじへと軽くキスをした。
「…んっ…」
手に馴染む冷たい背へ手を滑り込ませながら、傷一つない背に目を留める。
「背は綺麗なのに。…いや、この背はお主の心の現われなのだな。…敵に背を向けぬ。一歩も引かぬ、という意思」
顔を上げた九龍を見つめ、真っ直ぐに答えた。
「勇敢な…男の背だ」
自分を無垢に見つめ返す彼にふっと笑う。
「いっそ…此処には拙者が傷を入れてしまいたいな」
「剣介さん…」
「綺麗だからこそ欠けさせたい。完璧だからこそ、尚……人の傲慢さたる所以か」
九龍へと真里野は身を寄せ、その背に身を伏せると背に触れ…。
「一つくらい、お主が拙者に残したように…拙者もお主へと、痕を残したいものだ」
つぅっと背筋に合わせて唇を這わした。
「っ!…の…残してください」
先ほどまでとはまた違う快感に悩まされながら、九龍は叫ぶように口にする。
「貴方の好きに。…剣介さんの痕が俺も欲しい」
「九龍…」
必死にそうして自分に合わせようと、あるいは自分を受け止めようとしてくれる九龍に…真里野は酔う。
更にと彼の体に残った情欲を煽り…また白い息に塗れていった。
「はぁ……あっ…!」
一声、高く啼いた声を…寒空に光り輝く月だけが変わらず、見つめていた…――――――――――――――――
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